東安郡3

先日の記事に関してツイッターにて気になる情報をいただいたので確認してみたい。



秋八月、公進軍黎陽、使臧霸等入青州破齊・北海・東安、留于禁屯河上。
(『三国志』巻一、武帝紀)

後漢末の建安四年、曹操青州袁紹側のテリトリーに臧覇らを攻め込ませ、斉・北海・東安を破ったという。



斉・北海は郡国名である可能性が高いと思われるので、同じカテゴリーで並んでいるとすれば東安郡(東安太守)もあったのではないか、ということになる。



少なくとも袁紹側では当時「東安郡」を置いていたということになるだろう。




劉脩が就任したという東安太守は、袁紹滅亡後も郡名として生き残っていたということなのかもしれない*1

*1:劉脩が袁紹側の太守となっていた、と言う可能性も無いわけではないのかもしれないが。