東安郡2

昨日の記事の続き。



「東安郡」は魏にもあったようである。



摯虞文章志曰、劉季緒名脩、劉表子。官至東安太守。著詩・賦・頌六篇。
(『三国志』巻十九、陳思王植伝注引摯虞『文章志』)

元康元年、分東海置蘭陵郡。七年、又分東莞置東安郡、分臨淮置淮陵郡、以堂邑置堂邑郡。
(『晋書』巻十五、地理志下、徐州)

西晋統一後に東安郡が徐州に置かれているが、劉脩が東安太守であったとしたらその時期は晋の東安郡設立以前の可能性が高いだろう(劉表の子であったら晋の東安郡ではあまりに遅すぎる)。



おそらく、記録には無いが魏にも「東安郡」が置かれていた時期があったのだろう。




もしかすると、同じ時期の魏にも呉にも別々の「東安郡」があったのかもしれない。