『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その31

その30(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/06/04/000100)の続き。





十二年秋八月、曹操大破烏桓於柳城、斬其蹋頓。
冬十月辛卯、有星孛于鶉尾。
乙巳、黄巾賊殺濟南王贇。
十一月、遼東太守公孫康袁尚・袁熙。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

建安12年。



曹操、烏丸と袁尚らを破り、袁尚・袁熙は遼東太守の公孫康によって殺された。


烏丸も公孫康も元々は袁氏(袁紹)と協力関係にあったのだろう。袁紹は烏丸の信望を集めていたという劉虞の地盤を上手く引き継げたのかもしれない。




このあたりまでの曹操は何というかキレッキレという感じである。




黄巾に殺されたという済南王は霊帝の父の祭祀を継いだ人物。この時点でも黄巾の残党はいたという事だろうか。