親の因果か

妻妾盈後庭、又私取先帝才人七八人、及將吏・師工・鼓吹・良家子女三十三人、皆以為伎樂。詐作詔書、發才人五十七人送鄴臺、使先帝祜礱教習為伎。
(『三国志』巻九、曹爽伝)


魏の明帝死後、司馬懿と共に幼い皇帝曹芳を託された曹爽は、「先帝の才人」を我が物としたのだ、という。



「才人」とは後宮の女官の官位の一つで、それほど地位は高くないようだが後宮の一員には違いないので、皇帝陛下の妻妾をイタダキしちゃったということになる。




ところでこの「先帝」というのはまず間違いなく明帝こと曹叡様のことを指している。


又録奪士女前已嫁為吏民妻者、還以配士、既聽以生口自贖、又簡選其有姿色者内之掖庭。
(『三国志』巻三、明帝紀注引『魏略』)


曹叡様は官吏や民の妻となっていた士の娘(多分兵士の子女のこと)を夫から引き離し、兵士と結婚させた、という。



安易に因果応報とか言ってはいけない。と思う。