李勝字公昭。父休字子朗、有智略。
張魯前為鎮北將軍、休為司馬、家南鄭。時漢中有甘露降、子朗見張魯精兵數萬人、有四塞之固、遂建言赤氣久衰、黄家當興、欲魯舉號、魯不聽。
會魯破、太祖以其勸魯内附、賜爵關内侯、署散官騎從、詣鄴。
(『三国志』巻九、曹爽伝注引『魏略』)
三国魏の曹爽の仲間の一人、李勝。
彼の父は李休といい、張魯の司馬であったという。
彼は張魯に「挙号(おそらく『三国志』張魯伝に見える「漢寧王」を称することを言うのだろう)」を勧めたが、張魯は同意しなかったという。
ところで、『三国志』張魯伝には張魯が鎮北将軍であった事は記されていないと思うのだが、上記『魏略』を読む限りでは独立時代に鎮北将軍であり、李休が司馬であったように読める。
どうやら張魯は曹操に降伏する以前に鎮北将軍を名乗っていたようだ。
自称なのか曹操あたりが与えたのかは知らないが。