肉刑廃止について

あれ?



昨日取り上げた太倉公の事件に端を発する肉刑廃止について、『漢書』刑法志では「外有輕刑之名、内實殺人」と、肉刑がほとんど死に至る笞刑になったことを批判的に記してるけど、『史記』ってそういった部分が載ってない・・・?



それとも見落としてるかな・・・?




載ってないんだとしたら、司馬遷漢王朝に忖度したのか、それとも司馬遷自身がそのあたりを批判的に感じてなかったのか、ということになるが・・・。