淳于公

史記』扁鵲倉公列伝に載る太倉公淳于意と、『漢書』刑法志に載る淳于公って、同一人物のはずなのに全く印象が違うというか、『漢書』では名医だという話が出てきてないんだよな・・・。



というか、『史記』扁鵲倉公列伝でも肉刑廃止の一件と、医者としての部分が独立してるよな・・・。



肉刑廃止の太倉令と名医の太倉公って、本当に同一人物?