劉邦の仕官

漢の劉邦は「不事家人生産作業」(『史記』高祖本紀)などと言われ、家業の第一次産業に従事しようとしなかった、といった風に伝えられている。



だが彼は一方で吏となり亭長に就任はしているわけで、これは「家業を手伝わない代わりに官吏になるための勉強や猟官活動に専念した」ということだったのではないか。



まあ、実際に官に就くまでは、あるいは就いてからも、実家の財産を食いつぶすような状態にしか見えなかったから、批判的に語られたのかもしれないが。