一人加増せず

華嶠譜敍曰、文帝受禪、朝臣三公已下並受爵位。(華)歆以形色忤時、徙為司徒而不進爵。魏文帝久不懌、以問尚書陳羣曰「我應天受禪、百辟羣后莫不人人悦喜、形于聲色、而相國及公獨有不怡者、何也?」羣起離席長跪曰「臣與相國曾臣漢朝、心雖悦喜、義形其色、亦懼陛下實應且憎。」帝大悦、遂重異之。
(『三国志』巻十三、華歆伝注引華嶠『譜敍』)


この記事によれば、華歆は魏王朝の司徒になったが爵位は上がらなかったのだという。


文帝即位、以(賈)詡為太尉、進爵魏壽郷侯、增邑三百、并前八百戸。
(『三国志』巻十、賈詡伝)

及文帝踐阼、改為司空、進封樂平郷侯。
(『三国志』巻十三、王朗伝)

なるほど、当時の三公の中で華歆だけが爵位・封邑の加増が記録されていない。



曹丕は陳群の説明で納得して以降も加増していないようだ。




あるいは、この事実から曹丕の不興を買ったという風聞が生まれた可能性もある。




ただ、この時の華歆は既に郷侯になっていたが、賈詡と王朗はそれまで亭侯だったようなので、三公の三人の爵位を郷侯に統一しようとしていただけ、という可能性も無くはない。




とはいえ、本意がどうあれ、一人だけ加増しなければ憶測が生じるのも当然のことではあるので、曹丕は意図的かつ懲罰的な加増ストップのつもりでなかったとしても、それはそれで少々迂闊というものだろう。