三国

彦皇

初、任城棧潛、太祖世歴縣令、嘗督守鄴城。 【注】 潛字彦皇、見應璩書林。 (『三国志』巻二十五、高堂隆伝) 魏の棧潜、字は「彦皇」というのか。 何と言うか「皇」と入ってるやけにカッコよく見える字だな。

東宮

明悼毛皇后、河内人也。 黄初中、以選入東宮、明帝時為平原王、進御有寵、出入與同輿輦。 及即帝立、以為貴嬪。太和元年、立為皇后。后父嘉、拝騎都尉、后弟曾、郎中。 (『三国志』巻五、后妃伝、明悼毛皇后) 魏の曹叡こと烈祖様の皇后毛氏。 彼女は文帝の…

錫県は錫県じゃない:その2

鄖郷令。本錫縣、二漢舊縣、屬漢中、後屬魏興、魏・晉世為郡、後省。武帝太康五年、改為鄖郷。何志晉惠帝立、非也。 錫縣令。前漢長利縣、屬漢中、後漢省。晉武帝太康四年復立、屬魏興。五年、改長利為錫。 (『宋書』巻三十七、州郡志三、梁州刺史、魏興太…

錫県は錫県じゃない:その1

錫。有錫、春秋時曰錫穴。 (『続漢書』郡国志五、漢中郡) 後漢の漢中郡に「錫」という県があった。三国時代には郡になったりもしている。 「有錫」とあるので、金属としての「錫」を産出したから「錫」という県名になったという事だろうか? 鍚、莽曰鍚治…

李上

漢代、「上郡」という郡があった。 あの李広などが太守になった事がある。 ところで、ある太守や国相の事を「姓+郡国名」で表記する事がある。 沛相袁忠を「袁沛」と表記するように。 それで行くと、「上郡太守李広」は「李上」になるのか?

朱提の変遷

(鄧)孔山名方、南郡人也。以荊州從事隨先主入蜀。蜀既定、為犍為屬國都尉、因易郡名、為朱提太守、選為安遠將軍・庲降都督、住南昌縣。章武二年卒。失其行事、故不為傳。 (『三国志』巻四十五、楊戯伝) 昨日記事にした銀山のある「朱提」は、『漢書』に…

董翳と董仲舒、あと董卓

昨日の記事によると、項羽が封建した翟王董翳の子孫は隴西に定住した、という。 また、董仲舒の子孫も隴西に定住したように書かれている。 とにかく、隴西の董氏は董翳や董仲舒をルーツに持ってきている事になる。 董卓字仲穎、隴西臨洮人也。性麤猛有謀。 …

焼き土下座

昨日の記事を書いたあと、そこの命乞いシーンに既視感みたいなのがあったんだが、やっとわかった。 本来できるはずなのだ・・・!本当に夫を助けたいという気持ちで・・・胸がいっぱいなら・・・!たとえそれが・・・公卿賓客でいっぱいの堂内でも・・・! …

尊厳破壊

(董)祀為屯田都尉、犯法當死、(蔡)文姫詣曹操請之。時公卿名士及遠方使驛坐者滿堂、操謂賓客曰「蔡伯喈女在外、今為諸君見之。」及文姫進、蓬首徒行、叩頭請罪、音辭清辯、旨甚酸哀、衆皆為改容。操曰「誠實相矜、然文狀已去、柰何?」文姫曰「明公廐馬…

弘農楊氏と天水趙氏

武元楊皇后諱艷、字瓊芝、弘農華陰人也。 父文宗、見外戚傳。母天水趙氏、早卒。 后依舅家、舅妻仁愛、親乳養后、遣他人乳其子。及長、又隨後母段氏、依其家。 (『晋書』巻三十一、后妃伝上、武元楊皇后) 晋の武帝司馬炎の正妻楊氏の母は「天水趙氏」だっ…

王氏と楊氏、あと司馬氏

王朗字景興、東海郯人也。以通經拝郎中、除菑丘長。師太尉楊賜、賜薨、棄官行服。 ・・・(中略)・・・ 黄初中、鵜鶘集靈芝池、詔公卿舉獨行君子。朗薦光祿大夫楊彪、且稱疾、讓位於彪。帝乃為彪置吏卒、位次三公。 (『三国志』巻十三、王朗伝) 王朗は太…

王氏の母

帝以后母羊氏未崇諡號、泰始三年下詔曰・・・(中略)・・・故衛將軍・蘭陵景侯夫人羊氏・・・(後略)・・・ (『晋書』巻三十一、后妃伝上、文明王皇后) へえ、司馬昭の妻王氏(王元姫)の母は羊氏だったのか。 言い換えると羊氏は王粛(王朗の子)の妻。…

恩赦

以(呂)蒙為南郡太守、封孱陵侯、賜錢一億、黄金五百斤。蒙固辭金錢、權不許。封爵未下、會蒙疾發、權時在公安、迎置内殿、所以治護者萬方、募封内有能愈蒙疾者、賜千金。時有鍼加、權為之慘慽、欲數見其顔色、又恐勞動、常穿壁瞻之、見小能下食則喜、顧左…

ひとこと

昨日の話(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/10/28/000100)だけど、よくよく考えてみると、多分だけど流石の董卓でも皇甫氏に全く話もせずアポなしで皇甫規の妻を迎えようとしたとは思いにくいなあ。 皇甫規の妻自身は拒絶していた、あるいはそれを予…

董卓のお召し

安定皇甫規妻者、不知何氏女也。規初喪室家、後更娶之。妻善屬文、能草書、時為規荅書記、衆人怪其工。及規卒時、妻年猶盛、而容色美。 後董卓為相國、承其名、娉以軿輜百乗、馬二十匹、奴婢錢帛充路。妻乃輕服詣卓門、跪自陳請、辭甚酸愴。卓使傅奴侍者悉拔…

丞相設置の請願

(建安)十三年春正月癸未、司徒趙温請置丞相。 秋七月、曹操征劉表。 八月丁未、光祿大夫郗慮為御史大夫。 (『後漢紀』孝献帝紀第三十) 『後漢紀』では、後漢末に丞相を置くよう請願したのは当時の司徒趙温という事になっている。 (建安)十三年春正月、…

約束の地

初、天子之立非(袁)紹意、及在河東、紹遣潁川郭圖使焉。圖還説紹迎天子都鄴、紹不從。會太祖迎天子都許、收河南地、關中皆附。 (『三国志』巻六、袁紹伝) 曹操は天子を迎えて許に行き、河南地を納めた。 この「河南地」はまあ黄河の南側、河南郡やその近…

『晋諸公賛』

傅暢晉諸公贊曰 (『三国志』巻四、高貴郷公髦紀注) 昨日の記事で出した『晋諸公賛』を記したのは「傅暢」というヤツらしい。 (傅)祗字子莊。父嘏、魏太常。・・・(中略)・・・祗自以義誠不終、力疾手筆敕厲其二子宣・暢、辭旨深切、覽者莫不感激慷慨。…

韓寿の評価

(賈)謐字長深。母賈午、充少女也。父韓壽、字徳真、南陽堵陽人、魏司徒暨曾孫。美姿貌、善容止、賈充辟為司空掾。 充毎讌賓僚、其女輒於青璅中窺之、見壽而悦焉。問其左右識此人不、有一婢説壽姓字、云是故主人。女大感想、發於寤寐。婢後往壽家、具説女意…

州泰の就職

干寶有言曰、昔高祖宣皇帝以雄才碩量、應時而仕、値魏太祖創基之初、籌畫軍國、嘉謀屢中、遂服輿軫、驅馳三世。性深阻有若城府、而能寬綽以容納。行任數以御物、而知人善采拔。故賢愚咸懷、大小畢力。爾乃取鄧艾于農瑣、引州泰于行役、委以文武、各善其事。…

南陽圭泰

(鄧)艾州里時輩南陽州泰、亦好立功業、善用兵、官至征虜將軍・假節都督江南諸軍事。景元二年薨、追贈衛將軍、諡曰壯侯。 【注】 世語曰、初、荊州刺史裴潛以泰為從事、司馬宣王鎮宛、潛數遣詣宣王、由此為宣王所知。及征孟達、泰又導軍、遂辟泰。泰頻喪考…

呂布本事

呂布本事一卷、毛范撰。 (『隋書』巻三十三、経籍志二、史、雑史) 『隋書』経籍志によると、「呂布本事」という書があったそうな。 前後の書などから判断すると、晋頃の人の筆によるものに思われるが、毛范なる人物が何者で、「呂布本事」がどういう書なの…

台崇の子孫

臺産字國儁、上洛人、漢侍中崇之後也。少專京氏易、善圖讖・祕緯・天文・洛書・風角・星算・六日七分之學、尤善望氣・占候・推歩之術。隠居商洛南山、兼善經學、汎情教授、不交當世。 (『晋書』巻九十五、芸術伝、台産) (八月)辛亥、鎮東將軍曹操自領司…

呉録曰、皇象字休明、廣陵江都人。幼工書。 (『三国志』巻六十三、趙達伝注引『呉録』) 皇侃、呉郡人。青州刺史皇象九世孫也。侃少好學、師事賀瑒、精力專門、盡通其業、尤明三禮・孝經・論語。 (『梁書』巻四十八、儒林伝、皇侃) 三国呉に「皇象」とい…

『魏略』について

魏略以(常)林及吉茂・沐並・時苗四人為清介傳。 (『三国志』巻二十三、常林伝注) 魏略苛吏傳曰、(王)思與薛悌・郤嘉倶從微起、官位略等。 (『三国志』巻十五、梁習伝注) 魏略勇俠傳載孫賓碩・祝公道・楊阿若・鮑出等四人。賓碩雖漢人、而魚豢編之魏…

『魏略』知足伝

魚豢魏略知足傳、方田・徐於管・胡、則其道本異。 (『梁書』巻五十二、止足伝) ほう、魚豢『魏略』には「知足伝」という伝があったのか。 「田・徐」「管・胡」は誰の事だろうか? 田疇・徐邈(曹操による封爵を辞退した田疇、三公への叙任を辞退した徐邈…

公孫度の戦い

(初平元年)遼東太守公孫度自號爲平州牧、立漢世祖廟。 (『後漢紀』孝献皇帝紀第二十六) 遼東太守公孫度が漢の世祖廟を立てたのは、あの董卓が洛陽を破壊したという初平元年の事だったという。 という事は、公孫度としては「洛陽で事実上失われた皇帝廟を…

ない内史

五月丙申、天子使御史大夫郗慮持節策命公為魏公曰・・・(中略)・・・魏國置丞相已下羣卿百寮、皆如漢初諸侯王之制。 (『三国志』巻一、武帝紀) 秋、羣下上先主為漢中王、表於漢帝曰・・・(中略)・・・以漢中・巴・蜀・廣漢・犍為為國、所署置依漢初諸…

仲長統『昌言』法誡篇を読んでみよう:その3

その2(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/27/000000)の続き。

仲長統『昌言』法誡篇を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/26/000100)の続き。