劉氏と劉氏

項伯即入見沛公。沛公奉卮酒為壽、約為婚姻。
(『史記』巻七、項羽本紀)

沛公劉邦はかの「鴻門の会」に際し、劉邦一行の危機を教えてくれた項伯との縁組を約束した、という。



この約束は果たされたのだろうか?




というのは、項伯は項羽死後に「劉氏」を賜り、「劉纏」と名乗っているはずだからだ。当然、息子や娘も同じ「劉氏」になったのだろう。



そうなったら、どういう縁組であるにしろ、「劉氏」と「劉氏」の同姓婚になってしまうではないか。



このあたり、どう処理されたのだろうか?それとも、縁組はなされなかったのだろうか?*1

*1:もっとも、かの王莽は妻も王氏だったとされているので、本来別の氏族だということなら現在の姓が同じでもセーフ、みたいな考え方があった可能性もある。