『史記』項羽本紀を読んでみよう:その44

その43(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181004/1538579461)の続き。





項王已死、楚地皆降漢、獨魯不下。漢乃引天下兵欲屠之、為其守禮義、為主死節、乃持項王頭視魯、魯父兄乃降。
始、楚懷王初封項籍為魯公、及其死、魯最後下、故以魯公禮葬項王穀城。漢王為發哀、泣之而去。
諸項氏枝屬、漢王皆不誅。乃封項伯為射陽侯。桃侯・平皋侯・玄武侯皆項氏、賜姓劉。
(『史記』巻七、項羽本紀)

項羽死後、その領土は全て漢によって制圧された。



項羽最初の領土であったという魯は中々降伏しなかったが、項羽の首級を見せてやっと降伏した。


項羽が実際に討たれたと確認するまでは項羽を主とし、敵方に降伏しない、という事だろう。




劉邦はそこで項羽を魯公としての格式で葬った。これは、楚の懐王の臣下の魯公としての地位は認めるが、それ以降の「西楚覇王」としての地位は認めない、という宣言でもあるのだろう。




また、項羽の親族である項伯らには「劉」姓を与えたという。


つまり、劉邦は自分の親戚のように扱った、という事だ。皇族扱いまではされなかったように思われるものの、彼ら項氏は劉邦に許された、という事が一目でわかるようになっているわけだ。



ちなみに桃侯の子孫は後に漢王朝の丞相になっている。