謎の御史大夫

御史大夫陽陵侯岑邁。
(『史記』巻二十二、漢興以来将相名臣年表、孝景前六年)

六月丁丑、御史大夫岑邁卒。
(『史記』巻二十二、漢興以来将相名臣年表、孝景後二年)

史記』漢興以来将相名臣年表には、「陽陵侯岑邁」なる者が景帝の時に御史大夫となったとされていて、しかも結構長い間在任していたかのように記されている。



しかし『漢書』百官公卿表下にはそういう人物は記されていないし、当時の陽陵侯は高祖の功臣傅寬の子孫傅偃であり、「岑邁」なる人物ではない。




また「陽陵侯岑邁」が死ぬまでの間に何人も別の御史大夫が立ったようにも記されているので、この「陽陵侯岑邁」は一体何者なのかという想いでいっぱいである。



どこかの諸侯王の御史大夫とかだったとでもいうのだろうか?