『後漢書』孝献帝紀を読んでみよう:その40

その39(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/06/16/000100)の続き。





二十二年夏六月、丞相軍師華歆為御史大夫
冬、有星孛于東北。
是歳大疫。
(『後漢書』紀第九、孝献帝紀)

建安22年。


二十二年春正月、王軍居巢。
二月、進軍屯江西郝谿。(孫)權在濡須口築城拒守、遂逼攻之、權退走。
三月、王引軍還、留夏侯惇曹仁張遼等屯居巢。
夏四月、天子命王設天子旌旗、出入稱警蹕。
五月、作泮宮。
六月、以軍師華歆為御史大夫
冬十月、天子命王冕十有二旒、乗金根車、駕六馬、設五時副車。
以五官中郎將丕為魏太子。
劉備張飛馬超呉蘭等屯下辯、遣曹洪拒之。
(『三国志』巻一、武帝紀)

曹操の方はこの年は孫権を退け、その後に献帝から天子が用いるべき馬車その他を使用する権利を与えられた。



限りなく皇帝に近い存在になってきているのである。もちろん、これらが献帝発案とか、曹操が嫌がっているのに無理に与えたなどという事は考えにくく、曹操サイドが望んだものを与えた、というべきなのだろう。



是時、文帝為五官將、而臨菑侯植才名方盛、各有黨與、有奪宗之議。文帝使人問詡自固之術、(賈)詡曰「願將軍恢崇徳度、躬素士之業、朝夕孜孜、不違子道。如此而已。」文帝從之、深自砥礪。
太祖又嘗屏除左右問詡、詡嘿然不對。太祖曰「與卿言而不答、何也?」詡曰「屬適有所思、故不即對耳。」太祖曰「何思?」詡曰「思袁本初・劉景升父子也。」太祖大笑、於是太子遂定。
(『三国志』巻十、賈詡伝)


曹操の魏王の太子に当時の最年長の子である曹丕が選ばれた。既に丞相の副とされていたが、それでもなお曹植との間では後継者争いの様相を呈していたらしい。



この賈詡の発言(後継者争いが勢力滅亡の一因と言われる袁紹劉表を引き合いに出す)で曹操曹丕に決めたという。


なお、その曹操は数年前に献帝の後継者を殺してる。こっちは悩む必要なさそう。