ふと思ったこと・ふたたび

建安初、丁夫人廢、遂以后為繼室。諸子無母者、太祖皆令后養之。
(『三国志』巻五、武宣卞皇后伝)

ふと思った。



曹操の正妻だった丁氏は曹操と離縁し、その後に曹丕らの母である卞氏が後添えとなった。



だが、よくよく考えると丁氏が離縁(建安初めの長男曹昂戦死の直後と考えられる)してすぐに卞氏が「継室」となったとは限らない。



その間には色々なすったもんだがあり、曹操卞氏以外を「継室」にしたがったり、といったことがあって、丁氏離縁から案外時間が経っていたかもしれない*1





ていうか、曹操曹丕がいながら曹沖を後継にと考えたという話は、曹操が「曹丕を後継、その実母卞氏を継室に」と強くは考えていなかったからだと思った方がしっくりくる・・・かもしれない。

*1:たとえば、曹操卞氏以外が産んだ子を後継者にしたいと思えば、その子の母を「継室」にしようと思ったかもしれないではないか。