王子とその母の吝嗇

文帝為太子、左右長御賀后曰「將軍拝太子、天下莫不歡喜、后當傾府藏賞賜。」后曰「王自以(曹)丕年大故用為嗣、我但當以免無教導之過為幸耳、亦何為當重賜遺乎!」長御還、具以語太祖。太祖悦曰「怒不變容、喜不失節、故是最為難。」
(『三国志』巻五、皇妃伝、武宣卞皇后)


この卞氏の話、つまりは曹丕王太子になったことを祝って周囲や下々に蓄えから下賜しよう、という提案を拒絶したということだから、つまり忠誠心を金で買うイベントをしなかったということになるんじゃないか。


ある意味では吝嗇、部下に恩賞をケチる、とも言える態度である。



曹丕がどうも人気があるように感じず、結局また曹操周辺から曹植への交代を言い出す者が現れていたっぽく、即位後も同様に思えるのは、この「太子になったことに対して周囲に恩沢を恵まないシブチン」とも言える態度(曹丕にとっては冤罪気味だが)にも一因があるんじゃなかろうか。