『漢書』高后紀を読んでみよう:その7

その6(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20170920/1505833280)の続き。




八年春、封中謁者張釋卿為列侯。
諸中官・宦者令丞皆賜爵關内侯、食邑。
夏、江水・漢水溢、流萬餘家。
(『漢書』巻三、高后紀)

呂后8年。



宦官に大々的に領土が下賜される。呂后のそばに仕える臣下は基本的に宦官ばかりであるはずだから、この措置は呂后が側近たちを厚遇したものと言えるだろう。



八年十月、立呂肅王子東平侯呂通為燕王、封通弟呂莊為東平侯。
三月中、呂后祓、還過軹道、見物如蒼犬、據高后掖、忽弗復見。卜之云趙王如意為祟。高后遂病掖傷。
高后為外孫魯元王偃年少、蚤失父母、孤弱、迺封張敖前姫両子、侈為新都侯、壽為樂昌侯、以輔魯元王偃。
及封中大謁者張釋為建陵侯、呂榮為祝茲侯。
諸中宦者令丞皆為關内侯、食邑五百戸。
(『史記』巻九、呂太后本紀)

史記』では、この時期に呂后の身に異変が起こったことが記されている。趙王如意のたたりだと書かれているが、何かの病気になった、あるいは悪化したということなのだろう。




そうなると、呂后が外孫「魯元王」張偃の助けになるようにと異母兄たちにも領土を与えたり、宦官たちに大盤振る舞いしたりといったことも、自分が世を去った後の事を考えた措置だった、と言えるのかもしれない。




ここまでは嵐の前の静けさ。大変なのはここからである。続く。