新しい嫁2

謝承書曰、何湯字仲弓、豫章南昌人也。(桓)榮門徒常四百餘人、湯為高第、以才明知名。榮年四十無子、湯乃去榮妻為更娶、生三子、榮甚重之。
(『後漢書』列伝第二十七、桓栄伝)

後漢初期の人、桓栄。書経に通じた大儒学者であった。



だが彼は四十歳になっても後継ぎの子が生まれていなかった。




そこで彼の弟子の何湯という者が桓栄と妻を離縁させ、新たに別の女性と結婚させた。


桓栄はその新しい妻との間に子供を三人儲けたので、桓栄は弟子の何湯のことを大変重んじるようになった、という。




この時代、後継ぎの子がいないというのは大変な親不孝であったようなので、現代的な捉え方とは切実さなどが段違いだとは思うが、それにしても弟子が師匠に妻との離縁を勧めるというのはなかなかエグイ話だとは思う。