魏王朝の後宮

帝之幸郭元后也、(毛)后愛寵日弛。景初元年、帝游後園、召才人以上曲宴極樂。元后曰「宜延皇后」、帝弗許。乃禁左右、使不得宣。后知之、明日、帝見后、后曰「昨日游宴北園、樂乎?」帝以左右泄之、所殺十餘人。賜后死、然猶加諡、葬愍陵。
(『三国志』巻五、明悼毛皇后伝)

この話って地味に酷いというか血なまぐさいな・・・。





魏の明帝曹叡様こと烈祖様は、最初の皇后である毛皇后から郭氏(郭皇后)に目移りしていた頃、毛皇后に秘密で郭氏と遊んでいたら、それを毛皇后が察知し、翌日烈祖様に対して「昨日はお楽しみでしたね?」(コメカミピクー)と言ったところ、烈祖様は自分の近習が緘口令を破ったと判断し、近習十数人と毛皇后を殺してしまった。




皇帝としては、自分の命令を破った者がいる(はずな)以上は、その犯人と漏洩した情報の受け取り手を血祭に上げるのはある意味では当然の事なのだが、十数人というのはもしかしたら犯人を特定できないまま手あたり次第に殺したのではないだろうか。




また、毛皇后は皇帝に対して不敬な言葉を投げ付けたということになるのだろうから、その点でも死を賜わるのは(皇帝からすると)やむを得ないのだろうが、烈祖様の実母甄氏も舌禍で父曹丕によって命を奪われたとされているので、まるで同じことを烈祖様自身が行ったというのは因果な話である。






なんにしろ、魏の皇后(皇太后)は事実上三人連続で死を賜ったようなものだ。



地味にではあるがなかなか怖い後宮である。