曹丕、自らの過ちを正そうとする

無幾、帝復問曰「我昨夜夢青氣自地屬天。」(周)宣對曰「天下當有貴女子寃死。」是時、帝已遣使賜甄后璽書、聞宣言而悔之、遣人追使者不及。
(『三国志』巻二十九、方技伝、周宣)

昨日の続きみたいなもの。




魏の文帝曹丕は夢占い師周宣から「天下に冤罪で死ぬ貴人の女性が現れることでしょう」と言われ、甄氏(烈祖様の実母)への死を命ずる使者を呼び戻そうとしたが、間に合わなかった。



黄初元年十月、帝踐阼。踐阼之後、山陽公奉二女以嬪于魏、郭后・李・陰貴人並愛幸、后愈失意、有怨言。帝大怒、二年六月、遣使賜死、葬于鄴。
(『三国志』巻五、文昭甄皇后伝)

魏略曰、明帝既嗣立、追痛甄后之薨、故太后以憂暴崩。甄后臨沒、以帝屬李夫人。及太后崩、夫人乃説甄后見譖之禍、不獲大斂、被髮覆面、帝哀恨流涕、命殯葬太后、皆如甄后故事。
(『三国志』巻五、文徳郭皇后伝注引『魏略』)

これは、甄氏の賜死の決め手になったと思われる「怨言」が讒言による冤罪だと悟った、自らの過ちを認め正そうとした、ということか。





それにしても、『魏略』の記事を信じるなら甄氏はまともに埋葬すらされなかった(『漢晋春秋』によれば口に糠を詰められたりした)ということになるのだが、曹丕はそういった埋葬まで賜死の使者に指示していて、それを止める時間もないくらい爆速で全部終わらせたというのだろうか?



冤罪だと思ったのなら、せめて埋葬くらいはまともにしてやるか、一度やってしまったとしても改葬すれば良かったのに、と思わないでもない。