東宮

明悼毛皇后、河内人也。
黄初中、以選入東宮、明帝時為平原王、進御有寵、出入與同輿輦。
及即帝立、以為貴嬪。太和元年、立為皇后。后父嘉、拝騎都尉、后弟曾、郎中。
(『三国志』巻五、后妃伝、明悼毛皇后)


魏の曹叡こと烈祖様の皇后毛氏。



彼女は文帝の時に東宮に入り、烈祖様が平原王の時に彼の寵愛を受けた。





ん?曹丕は死ぬ間際まで皇太子(東宮)は立てていなかったが、実質的には東宮に入るべき人物はいたという事か?



そして、東宮に入った毛氏が烈祖様に寵愛されたという事は、その東宮にいたのは烈祖様という事か・・・?




烈祖様は一度は皇太子になる(東宮の主になる)寸前まで来たが、結局平原王(侯?)に戻された(その時にお手付きだったであろう毛氏も一緒に東宮を出た)、という事だろうか。