曹嵩夫人丁氏

戊申、追尊高祖大長秋曰高皇帝、夫人呉氏曰高皇后。
(『三国志』巻三、明帝紀、太和三年四月)


曹魏の明帝こと烈祖様は、名目上の先祖に当たる宦官曹騰を「高皇帝」、その夫人呉氏を「高皇后」と追尊した。


五月戊寅、天子命王追尊皇祖太尉曰太王、夫人丁氏曰太王后、封王子叡為武徳侯。
(『三国志』巻二、文帝紀、延康元年五月)

追尊皇祖太王曰太皇帝、考武王曰武皇帝、尊王太后曰皇太后
(『三国志』巻二、文帝紀、黄初元年十一月)


それより以前、烈祖様の名目上の父である文帝曹丕が皇帝になる前に献帝の命ということで曹丕の祖父曹嵩に「太王」、曹嵩の夫人丁氏に「太王后」が追尊され、文帝が皇帝になると曹嵩は「太皇帝」と格上げされた。




あれ?曹嵩の夫人丁氏は文帝から追尊されてないのだろうか?


曹騰夫人は追尊されたと明記されて曹嵩夫人は記されていないというのは面白い。



本当は追尊されていたけれど記述が抜けただけなのか。それとも本当に追尊されなかったのか。