赤子列侯

趙王幹、建安二十年封高平亭侯。二十二年、徙封頼亭侯。其年改封弘農侯。
(『三国志』巻二十、趙王幹伝)

魏略曰、(曹)幹一名良。良本陳妾子、良生而陳氏死、太祖令王夫人養之。良年五歳而太祖疾困、遺令語太子曰「此兒三歳亡母、五歳失父、以累汝也。」太子由是親待、隆於諸弟。
(『三国志』巻二十、趙王幹伝注引『魏略』)


曹操が死ぬのは建安二十五年。



曹丕への曹幹についての遺言は前年あたりかもしれないので、その時五歳だった曹幹は亭侯になった建安二十年が産まれた年ということになるのだろう。





曹幹は生まれてすぐの時点で爵位的にはそこらの武将や官僚よりずっと上になったのか。



言い換えると、物心ついて以降、王侯でなかったことが無いということなんだなあ。