『三国志』明帝紀を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/02/05/000100)の続き。





太和元年春正月、郊祀武皇帝以配天、宗祀文皇帝於明堂以配上帝。
分江夏南部、置江夏南部都尉。
西平麴英反、殺臨羌令・西都長、遣將軍郝昭・鹿磐討斬之。
二月辛未、帝耕於籍田。
辛巳、立文昭皇后寢廟於鄴。
丁亥、朝日于東郊。
夏四月乙亥、行五銖錢。
甲申、初營宗廟。
秋八月、夕月于西郊。
冬十月丙寅、治兵于東郊。
焉耆王遣子入侍。
十一月、立皇后毛氏。
賜天下男子爵人二級、鰥寡孤獨不能自存者賜穀。
十二月、封后父毛嘉為列侯。
新城太守孟達反、詔驃騎將軍司馬宣王討之。
(『三国志』巻三、明帝紀

太和元年。



通常、帝位を継いで即位した皇帝が改元をするのは即位翌年。即位した年の内に改元するのは何らかの変事があったと思われるような事態である。


初、明帝為王、始納河内虞氏為妃、帝即位、虞氏不得立為后。太皇后卞太后慰勉焉。虞氏曰「曹氏自好立賤、未有能以義舉者也。然后職内事、君聽外政、其道相由而成、苟不能以善始、未有能令終者也。殆必由此亡國喪祀矣!」虞氏遂絀還鄴宮。
(『三国志』巻五、明悼毛皇后伝)


烈祖様、毛皇后を立てる。


もともと烈祖様の正妻は虞氏という者だったが皇后には立てられなかった。虞氏は烈祖様の祖母という事になる皇太后卞氏(魏武の正妻)に「曹氏は好んで賎しい身分の者を正妻に立てようとする」と言い放った。卞氏がまさにその曹氏によって正妻に立てられた賎しい身分の女性である。



つまり毛氏も賎しい身分の女性なのである。毛皇后の弟毛曽はその賎しさを夏侯玄に忌避されたりしている。




孟達、離反。諸葛亮と通じていたという。なお曹丕はこの孟達を大変信用していた。



それを司馬懿が高速で討ち果たしたのは以前どこかで書いた。