文帝嘗令東阿王七歩中作詩、不成者行大法。應聲便為詩曰「煮豆持作羹、漉菽以為汁。萁在釜下然、豆在釜中泣。本自同根生、相煎何太急?」帝深有慚色。
(『世説新語』文学第四)
魏の文帝曹丕様は弟で後継者争いをした相手である東阿王曹植に対し、「七歩歩く間に詩を作ってみよ。できなかった殺すよ?」と命じた。
曹植は見事に七歩の間に豆を自分と兄に見立てた詩を作って見せた、という有名な話。
さて、自分自身も有名な詩人であった曹丕様が、曹植の詩文の才能、能力を全く測れないということがあるものだろうか。
曹丕様は、曹植が「七歩の間に詩を一つ作るくらいはできそう」とわかりそうなものではないのか。
つまり、これは実は「曹丕様が曹植が成功するような条件を分かっていて出した」可能性があるということではないか。
だとしたら、なぜそんなことを・・・。
これはやはり、「本当は殺したくなかった」からだろう。
殺したくないが、曹植排除を暗に求める側近、大臣たちの手前、ただ仲良くしているわけにもいかない。
「排除を試みた」という実績と、「命を助ける」という目的の両方を達成するためには、「素人さんには『無理やろ』としか思えないような命令を敢えて出しておいて、その命令を達成させてやる」しかない。
そのためには、曹丕様も曹植も共に当時のトップクラスの才能であった詩文を題材にするのが丁度良かったわけだ。
そう、この二人は本当は仲が良かったのかもしれないではないか。
曹丕様は「敗れた後継者候補」の常として消されかねなかった曹植を極力保護しようとしたのかもしれないではないか。
・・・なんて、優しい世界があってもいい。