曹丕様は曹植が荊州に出征する命を受ける前夜に曹植に酒を飲ませて二日酔いにしたため、曹植は王(曹操)の命令を受けることができず、曹操は大変お怒りになった、という話。
これだけ見ると曹丕様の人格を疑うような話でしかない。
だが良く考えてみると、この時期の曹丕様と曹植は後継者争いが一段落していたとはいえ、少なくとも世間的には大変険悪な関係だったと思われる。
そんな中で曹丕様が無理に飲ませようとしたというのを、いくら曹丕様が太子で兄であるとはいえ避けられないものなのだろうか。
また一方で、この出征は対関羽の援軍である。
ここでもし曹植が軍功を立てれば、一旦は終息したはずの後継者争いはまた一気に息を吹き返すことは想像に難くない。
曹丕様より有能で後継者にふさわしいのではないか、と言い出す人間が出てくるに決まっている。
魏略曰、(曹)彰至、謂臨菑侯植曰「先王召我者、欲立汝也。」植曰「不可。不見袁氏兄弟乎!」
(『三国志』巻十九、任城威王彰伝注引『魏略』)
しかしながら、当の曹植本人はというと、自らが後継者の座を争うことをよしとしていなかった。
そうなると、曹植が南方戦線に出陣すること自体が、曹植の考えに背くモノであったことになるのではないか。
つまり、曹丕様も曹植も、曹植の南方戦線行きの王命をなんとか回避したい、という点では利害が一致していたということになる。
ということは、曹植が酔い潰れたというのは、目的が一致した兄弟による、いわば自作自演だった、ということなのだろう。
曹植は、「わざと」飲みすぎて二日酔いになったのだ。
ことによると、最初から兄と通謀していたかもしれない。
これが「曹丕様が酔い潰した」と一方的に悪者に書かれるのは、主に曹丕様の日頃の行いのせいだと思うので同情の必要はないと思う。