東阿王伝説

帝幼而聰睿、六歳便能屬文、武帝弗之信、於前面試、帝攬筆立成文。武帝歎曰「常以東阿為虚、今則信矣。」
(『南史』巻八下、簡文帝紀

南朝梁の簡文帝は文章・詩において天才的な才能があったという。




六歳でその才能を発揮した彼のことを父の武帝(蕭衍)は信じず、自分の御前でやらせてみた。




そうしたところ簡文帝は筆を執るや否や文を作ってしまったので、武帝は「東阿王のことは今まで嘘だと思っていたが、今では信じられるな」と言ったという。





「東阿」というのは東阿王であったことのある魏の曹植のことで間違いないだろう。



つまり武帝蕭衍は息子簡文帝を曹植レベルの才能と思ったということだ*1





と同時に、本人もいろいろな著作を残した文人でもある武帝蕭衍でさえも、曹植の逸話(たぶん即座に詩を作ったという有名な話などが念頭にあるのだろう)は信じられないレベルであったということらしい。

*1:「コイツは我が家の東阿王やで!」と言ったという話も残っている。