曹丕と曹植は太子の位を争ったために曹丕は即位後に曹植の命を狙った、と言われる。
しかし、曹丕による曹植殺害計画とされている「七歩の詩」事件って曹植に負けないレベルの詩人曹丕にしてはお粗末だし、自殺したとの憶測も流れた曹植が出現したときは母と共に喜んだとされている。
曹植を毒殺しようとしていたとも『世説新語』は記すけれど、結局失敗したことになっているし、良く考えてみると曹丕にとって暗殺候補のナンバーワンではなかったことがその記事から明らかになっている。
曹彰はただでさえ武勇に優れ、曹丕には真似できないレベルの赫々たる軍功まで持っている。
曹植との争いは学問や徳行なので曹丕も(表面上は)曹植ともいい勝負ができるが、曹彰との軍事比べになったら勝ち目は全くない。
その上、曹操臨終の時に曹操に呼ばれたとか、曹操の璽綬(曹操の地位の証)のありかを知りたがったとか、あからさまに不審な言動がある。
自分が立つことを「袁氏の二の舞だ」と言って拒否する曹植と、「父はお前を立てようとしたのだ」と曹氏分裂の引き金を積極的に引こうとする曹彰。
曹丕はどちらを評価し、どちらを恨んだだろうか。
言うまでもないだろう。
文帝が滅ぼしたかったのは
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140601/1401553956
というわけで、曹丕が曹植よりもずっと優先的に滅ぼしたがっていた人間って、曹彰ということになるよね。