反語

夫九州之人、言語不同、生民已來、固常然矣。自春秋標齊言之傳、離騷目楚詞之經、此蓋其較明之初也。
後有揚雄著方言、其言大備。然皆考名物之同異、不顯聲讀之是非也。逮鄭玄注六經、高誘解呂覽・淮南、許慎造説文、劉熹製釋名、始有譬況假借以證音字耳。
而古語與今殊別、其間輕重清濁、猶未可曉。加以內言外言、急言徐言、讀若之類、益使人疑。
孫叔言創爾雅音義、是漢末人獨知反語。至於魏世、此事大行。高貴郷公不解反語、以為怪異。(後略)
(『顔氏家訓』音辞)


「反語」といっても、いわんやとかヒランヤとかのことではない。
いわゆる反切のことである。

反切を使って漢字の音を示すようになったのは後漢末から三国時代にかけてだということである。
「孫叔言」とは正しくは「孫叔然」つまり鄭玄の弟子の孫炎のこと。
彼の著作『爾雅音義』で反切が使われており、この当たりが反切が使われ始めたスタートということらしい。


また「高貴郷公不解反語、以為怪異」とは、あの魏の皇帝高貴郷公である。
高貴郷公は春秋左氏伝に造詣が深く、『左伝音』なる著作があったそうだが、少なくとも顔之推が知る中では高貴郷公の著作の中では反切を使っていなかったので、もう反切があったはずなのに不思議だと言っているようだ。