『晋諸公賛』

傅暢晉諸公贊曰
(『三国志』巻四、高貴郷公髦紀注)

昨日の記事で出した『晋諸公賛』を記したのは「傅暢」というヤツらしい。


(傅)祗字子莊。父嘏、魏太常。・・・(中略)・・・祗自以義誠不終、力疾手筆敕厲其二子宣・暢、辭旨深切、覽者莫不感激慷慨。祗著文章駁論十餘萬言。
(『晋書』巻四十七、傅祗伝)

暢字世道。年五歳、父友見而戲之、解暢衣、取其金環與侍者、暢不之惜、以此賞之。年未弱冠、甚有重名。以選入侍講東宮、為祕書丞。尋沒於石勒、勒以為大將軍右司馬。諳識朝儀、恒居機密、勒甚重之。作晉諸公敘讚二十二卷、又為公卿故事九卷。咸和五年卒。
(『晋書』巻四十七、傅暢伝)

どうやらこの傅暢は傅嘏の孫であるようだ。



司馬氏の政権維持に功のあった傅嘏の子孫という立場だからこそ書けた、という面もあったのかも。考えすぎかもしれんけど。




もしかして『晋諸公賛』は石勒の元で完成させたんだろうか?晋王朝から離れた後にかつての栄光をしのぶかのように作ったとか。