蜀才

易有蜀才注、江南學士、遂不知是何人。王儉四部目錄、不言姓名、題云「後人」
謝荕・夏侯該、並讀數千卷書、皆疑是譙周。
而李蜀書一名漢之書、云「姓范名長生、自稱蜀才」
南方以晉家渡江後、北間傳記、皆名為偽書、不貴省讀、故不見也。
(『顔氏家訓』書証)

易経の注釈者に「蜀才」という者がいた。
これは『隋書』経籍志等にも記録がある。
また、『隋書』経籍志等によれば老子の注釈も成しているようである。

この名は本名とは思われないが、顔之推の時代において正体は王弼以降の人物であること以外は不明であったらしい。


ただ、当時の学者は彼は蜀漢の譙周ではないかと疑っていたらしい。

また、五胡十六国時代の李雄の元で丞相となった范長生が「蜀才」を名乗っていたという記録もあったという。