寒中行幸

(元封)四年冬十月、行幸雍、祠五畤。通回中道、遂北出蕭關、歷獨鹿・鳴澤、自代而還、幸河東。春三月、祠后土。
【注】
服虔曰「獨鹿、山名也。鳴澤、澤名也。皆在涿郡遒縣北界也」
(『漢書武帝紀)

さらっと書いてあるので気に留めてなかったが、武帝ははるばる幽州涿郡まで行っている。しかも冬に。

基本的に漢の皇帝は行動派で意外と頻繁に都を離れるのだが、その中でも武帝は高祖と並ぶ遠出をしているようだ。