誘い文句の真意

昨日の話の続きになる。




昨日の話だけでは、鄧艾は何というかただただクレイジー気味の人になってしまうが、それだけではないかもしれない。



そもそも、蜀漢を滅ぼすことになれば、おそらく司馬昭が皇帝になることになる。



そうなれば、琅邪王も曹氏からチェンジ確実である。漢から新の時も、漢から魏の時も、諸侯王は王位を失って降格している。



だから、曹氏の琅邪王がいる中で諸葛瞻を琅邪王に誘うというのは、「司馬昭の来るべき晋王朝における王」のつもりなのではないか。それならば、鄧艾は当時の爵位の秩序を破ろうとしていたアナーキストではなく、ただ死にかけの魏王朝の秩序を無視して近いうちに出現する晋王朝の秩序を見ていただけ、魏晋革命によって琅邪王が空位になると読んでいただけ、という事になるだろう。




まあもっとも、それはそれで「晋王朝は敵国の臣下でも王になれる王朝」と勝手に規定してしまう事になるので、ヤバい事をしている事には変わりはないのではないか、という気もしないでもない。




それと、「敵国の臣下でも王になれる」というなら、「自国の臣下で特に功績のあった者」が王になれないはずはないだろう。



つまり、諸葛瞻が実際に王になれるとすれば、鄧艾も王になるだろうという事だ。



自分自身が王になる布石として諸葛瞻を王にしようとした、という解釈もできるかもしれない。




もちろん、諸葛瞻に負けたら全滅間違いない状態で少しでも勝利の可能性を高めるため、後の事を考えず諸葛瞻を帰順させようとした、という方がありそうな話じゃないかとは思うが。