晋における文欽の子

晉諸公贊曰、(文)俶後為將軍、破涼州虜、名聞天下。太康中為東夷校尉・假節。當之職、入辭武帝、帝見而惡之、託以他事免俶官。東安公繇、諸葛誕外孫、欲殺俶、因誅楊駿、誣俶謀逆、遂夷三族。
(『三国志』巻二十九、諸葛誕伝注引『晋諸公賛』)


文欽の息子で司馬氏に降伏した文俶(文鴦)、なぜか晋の武帝司馬炎から妙に嫌われたらしい。




軍事については評価されているのは父文欽と似ているが、朝廷における立ち位置はまるで違う。


本人の官界遊泳術がイマイチなのか、出戻りが嫌われたのか、あるいは父の悪評が響いていたのか。