孫登と歩夫人

生二女、長曰魯班、字大虎、前配周瑜子循、後配全琮。
(『三国志』巻五十、妃嬪伝、呉主権歩夫人)

(周)瑜両男一女。女配太子登。男循尚公主、拝騎都尉、有瑜風、早卒。
(『三国志』巻五十四、周瑜伝)


周瑜の男子の周循は、孫権の歩夫人との間の娘、いわゆる孫魯班を妻とした。


周瑜の女子は太子孫登の妻となった。




つまり、孫登と彼が拒絶した歩夫人一族との間は、周瑜の子を通して一応の関係があった、ということになる。



太子となった孫登に対し、周瑜遺族を通じて歩夫人との関係を改善するようにと孫権が取り計らったのだろうか。