魏王曹操の末期、曹仁が荊州を守り抜き、夏侯淵が漢中を失陥した。
これによって曹操や曹丕の中での曹氏(曹操と血縁のない曹氏)と夏侯氏の評価が定まり、曹氏は魏王朝になっても重用され、それまでは夏侯惇・夏侯淵が曹仁らと同等以上に重用されていた夏侯氏はその後塵を拝する存在になってしまった・・・という可能性もあるか?
というか、曹丕が皇帝になった時点で曹仁・曹洪が健在だった曹氏と、夏侯惇・夏侯淵がともに世を去っていた夏侯氏との違いかもしれないが。
まあ、それはそれで夏侯淵が漢中で死ななければ様相が変わっていたわけで、どっちにしても夏侯淵の死は夏侯氏の魏王朝における立場を悪くした、ということになるのではないか。