兄の嘲笑

性勤於稼穡、而兄伯升好俠養士、常非笑光武事田業、比之高祖兄仲。
(『後漢書』紀第一上、光武帝紀上)

後漢初代皇帝は農業にいそしみ、反社勢力に両足突っ込んでいた兄からは馬鹿にされていたのだ、という話がある。




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このあたりの話だが、彼らの源流たる長沙王系統からは前漢末に劉崇という王莽に対する反乱者を輩出し、その後もどうやら諦めてなかったっぽいのを見るに、長沙王系統の一族たちの分家の分家であった彼らの家においても、王莽に対する反旗を翻す機会をずっと伺っていたんじゃないだろうか。



兄が私兵を養っていたというのも単なるヤンチャでもなければゴロツキヤクザの類でもなく、当初より明確に本家筋に呼応して反乱を起こすためのものだったんじゃなかろうか。




また、弟の経歴をよく見れば、農事と共に儒学にも手を出している。これは、「一生農家」のつもりではなく、「農業という経済力をバックにして儒学を修めて仕官して高級官僚になる」という志向のキャリアなのではないだろうか。




だとすれば、弟は「王莽に仕官して忠実な役人として出世したい」という人物に見えるだろう。ガチで反乱を起こして王莽を打倒しようとしている兄の側からすれば、弟は「一族の悲願に協力せず、それどころか打倒すべき逆賊王莽の元で出世しようとしている」ということになる。


嘲笑しているのは農業に従事していたことというよりも、王莽の元で出世しようとしているように見えることに対して、だったのではなかろうか。




打倒王莽ガチ勢だったと思われる兄の立場からすれば、嘲笑で済ませているのはむしろ穏便な方かもしれない。