外戚王氏:第二世代

先日の「外戚王氏:第一世代」の続き。



もちろん今度は「第二世代」。



前回も言ったが割と適当な感じなので、誤りなどがあったら指摘してもらえるとありがたい。




  • 王莽

王曼の子。
言うまでもないあの人である。
真面目さアピールなどで南陽郡新都侯になった。



  • 王舜

王音の子。つまり王莽のまたいとこ。
王莽の協力者で王莽政権の要職を歴任。



  • 王邑

王商の子。つまり王莽の従兄弟。
王莽の協力者で王莽政権の要職を歴任。
あの光武帝の「昆陽の戦い」で負けた側である。
最後は王莽の首を取ろうとする者たちによって殺された。



  • 王渉

王根の子。つまり王莽の従兄弟。
王莽の協力者で王莽政権の要職に就いていたが王莽への反乱を企てて失敗。
王莽非王氏説をぶちあげた。



  • 王閎

王譚の子。つまり王莽のいtry
前漢哀帝臨終に際して哀帝の寵臣董賢より皇帝の印綬を力づくで奪った功労者。良く考えると前漢末政治史上の重要人物かもしれない。
だが王莽政権下では割を食った感があり、王莽による毒殺を恐れていたとも言われる。
王莽政権崩壊後は東郡で半独立状態となって最終的には光武帝に降伏。



  • 王丹

王立の子。つまりry
兄は父によって口封じのため自殺に追い込まれた。
彼ら南陽郡紅陽侯の王氏は南陽郡の劉氏と仲が良かったとされ、王丹は光武帝の将軍として戦った。



  • 淳于長

王氏ではないが一応紹介。
王政君(元后)の姉の子。つまり王莽の従兄弟。
伯父王鳳にゴマをすって地位を手に入れるという王莽のコンパチキャラみたいな経歴を持つ。
廃位されていた成帝の許皇后、および失脚していた王立と絡んで大逆罪になり獄死。






この第二世代は「父が執政となった者」と「父が執政になれなかった者」の間でくっきりと地位や末路に断絶があるのが特徴。

というか「なれなかった者」は王莽に弾圧された経験があり(王譚の後継ぎと王立は王莽によって自殺に追い込まれた)、王氏といっても王莽には恨みの方が強かった可能性が高いのではなかろうか。