『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その45

その44の続き。


是月戊辰、長平館西岸崩、邕芤水不流、毀而北行。遣大司空王邑行視、還奏状。羣臣上壽、以為河圖所謂「以土填水」、匈奴滅亡之祥也。乃遣并州牧宋弘・游撃都尉任萌等將兵撃匈奴、至邊止屯。
七月辛酉、霸城門災、民間所謂青門也。
戊子晦、日有食之。大赦天下。復令公卿大夫諸侯二千石舉四行各一人。大司馬陳茂以日食免、武建伯嚴尤為大司馬。
十月戊辰、王路朱鳥門鳴、晝夜不絶。崔發等曰「虞帝闢四門、通四聰。門鳴者、明當修先聖之禮、招四方之士也。」於是令羣臣皆賀、所舉四行從朱鳥門入而對策焉。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

この月(五月)の戊辰、長平館の西岸が崩れ、芤水を塞いで流れなくなり、崩壊して北へ流れるようになった。大司空王邑に視察へ行かせ、帰還して報告した。群臣はこれを河図の「土によって水を鎮める」のことであり匈奴が滅ぶ予兆であるとして慶賀した。
そこで并州牧宋弘・游撃都尉任萌らを遣わし、兵を率いて匈奴を討たせ、辺境に至って駐屯した。



七月辛酉、長安城の覇城門で火災があった。民間で「青門」と呼んでいた門である。



戊子、日食があり、天下に大赦令を下した。また公・卿・大夫・諸侯・二千石に質樸、敦厚、遜讓、有行の四種の善行ある者を推挙させた。
大司馬陳茂を日食を理由に罷免し、武建伯の厳尤(荘尤)を大司馬とした。



十月戊辰、王城の朱鳥門から音が鳴り、昼夜止まらなかった。崔発らは言った。「虞帝は四つの門を開き、四方に通じました。門が鳴るというのは、明らかにこれまでの聖人たちの礼を修め、四方の有能な士を招くべきということです」
そこで群臣に慶賀させ、推挙させた四種の善行の士を朱鳥門から入城させて質疑応答した。



一見すると災害や怪奇現象に思える事象も、「今の王朝は天に祝福されている」という視点で見れば真逆に解釈できる、ということのようだ。群臣たちも内心では色々察していたのかもしれないが。




二月、詔丞相・御史舉質樸敦厚遜讓有行者、光祿歳以此科第郎・從官。
(『漢書』巻九、元帝紀、永光元年)


「四行」とはここで言う「質樸敦厚遜讓有行者」の四科目のことを言っているのだという。王莽はたぶんそれを大々的に行ったのではなかろうかと思う。