『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その8

その7の続き。


是時、關東饑旱數年、力子都等黨衆亣多。更始將軍廉丹撃益州不能克、徴還。更遣復位後大司馬護軍郭興・庸部牧李曅撃蠻夷若豆等、太傅犧叔士孫喜清潔江湖之盜賊。而匈奴寇邊甚。
莽乃大募天下丁男及死罪囚、吏民奴、名曰豬突豨勇、以為鋭卒。一切税天下吏民、訾三十取一、縑帛皆輸長安。令公卿以下至郡縣黄綬皆保養軍馬、多少各以秩為差。
又博募有奇技術可以攻匈奴者、將待以不次之位、言便宜者以萬數。或言能度水不用舟楫、連馬接騎、濟百萬師。或言不持斗糧、服食藥物、三軍不飢。或言能飛、一日千里、可窺匈奴。莽輒試之、取大鳥翮為両翼、頭與身皆著毛、通引環紐、飛數百歩墮。莽知其不可用、苟欲獲其名、皆拜為理軍、賜以車馬、待發。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

この時、函谷関の東側では数年間も飢餓や旱魃が続き、力子都らの群盗の人数が大変多くなった。更始将軍廉丹は益州を攻撃したが勝てず、召喚されて戻った。改めて復帰させて大司馬護軍郭興・庸部牧李曅を派遣して異民族の若豆らを討たせ、太傅犧叔士孫喜に長江・洞庭湖の群盗を一掃させた。しかしながら匈奴の辺境への攻撃は酷くなっていった。



王莽はそこで天下の男子、死刑囚、官吏・民の奴から人を募って「豬突豨勇」と名付け、突撃隊とした。天下の官吏、民全体に課税し、財産の三十分の一を取り、反物をみな長安に輸送させた。三公・九卿以下、郡県の黄綬までの官吏に軍馬を養うことを命じ、秩禄によって頭数に差を付けた。



また匈奴を攻める上で役に立つ特殊技能の持ち主を広く募り、年功序列にこだわらない待遇を与えることとした所、方策を述べる者が万単位で現れた。ある者は河を渡る時に船を使わず、馬を連結して百万の軍が渡河できると述べた。ある者は多くの食料を持たずとも戦闘薬を服用すれば全軍が飢えを感じないと述べた。ある者は一日千里を飛行し、匈奴を上空から偵察できると述べた。
王莽はそれを試し、大きな鳥の羽で一対の翼を作り、全身に羽毛を付け、紐を付けて牽引して飛ばしたが、数百歩(1歩は1.35メートル程)ほど飛んで墜落した。王莽は実用に堪えないと知りながらも、起用したという実績作りのために皆を理軍に任命し、馬車を下賜して軍の出発を待たせた。



王莽、死刑囚の部隊を作って先に消耗させようとするの巻。映画や漫画でありがちな設定。


作貨布六年後、匈奴侵寇甚、莽大募天下囚徒人奴、名曰豬突豨勇、壹切税吏民、訾三十而取一。又令公卿以下至郡縣黄綬吏、皆保養軍馬、吏盡復以與民
(『漢書』巻二十四下、食貨志下)


漢書』食貨志には、この時の王莽の戦時特別税について、「官吏は民に転嫁した」という一文が加わっている。


実際、汚職が横行していたといった記述が先に出てきているわけで、そんな官吏が素直に税を負担するはずがないわけである。


なお黄綬は比二百石以上だそうなので、案外低い地位の官吏まで軍馬を飼う責任を負わせたようだ。





そして遂に出た、王莽時代の鳥人間。
引っ張って数百歩は墜落しなかったということになるので、数百メートルは一応宙を浮いていたということだ。



匈奴攻めには使えないというだけで、これは案外偉業だったんじゃないか、という気もしないでもない。やっぱり鳥がナンバーワン!