『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その28

その27の続き。


四年二月、赦天下。
夏、赤氣出東南、竟天。
厭難將軍陳欽言捕虜生口、虜犯邊者皆孝單于咸子角所為。
莽怒、斬其子登於長安、以視諸蠻夷。
大司馬甄邯死、寧始將軍孔永為大司馬、侍中大贅侯輔為寧始將軍。
莽毎當出、輒先𢯱索城中、名曰「膻𢯱」。是月、膻𢯱五日。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

  • 始建国四年(紀元12年)

始建国四年二月、天下に恩赦令を下した。



夏、赤い気が東南の方角より起こり、天を貫いた。



厭難将軍陳欽が捕虜の証言から辺境への攻撃はどれも孝単于咸の子角がやったことであると報告した。
王莽は怒って孝単于咸の子の登を長安で処刑し、異民族たちへの見せしめとした。



大司馬の甄邯が死去し、寧始将軍の孔永が大司馬となり、侍中・大贅の侯輔が寧始将軍となった。



王莽は外出するごとに城内を捜索させており、これを「横捜」と言った。この月、五日間にわたって「横捜」した。



王莽、順単于登を殺す。



もともと順単于登は人質扱いだろうからその通りの扱いをしただけかもしれないが、新に敵対する本来の単于と別に親新派の単于を立てようという本来の目的を全部ご破算にする処刑ということも言えるだろう。



赤い気というのが具体的にどういう現象なのかちょっとわからないが、ともあれ赤徳は漢とみなされているので、基本的には王莽にとっては悲報となる現象だったと思われる。