『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その44

その43の続き。


莽又曰「『普天之下、莫非王土。率土之賓、莫非王臣。』蓋以天下養焉。周禮膳羞百有二十品、今諸侯各食其同・國・則。辟・任・附城食其邑。公・卿・大夫・元士食其采。多少之差、咸有條品。歳豐穰則充其禮、有災害則有所損、與百姓同憂喜也。其用上計時通計、天下幸無災害者、太官膳羞備其品矣。即有災害、以什率多少而損膳焉。東嶽太師立國將軍保東方三州一部二十五郡。南嶽太傅前將軍保南方二州一部二十五郡。西嶽國師寧始將軍保西方一州二部二十五郡。北嶽國將衛將軍保北方二州一部二十五郡。大司馬保納卿・言卿・仕卿・作卿・京尉・扶尉・兆隊・右隊・中部左洎前七郡。大司徒保樂卿・典卿・宗卿・秩卿・翼尉・光尉・左隊・前隊・中部・右部、有五郡。大司空保予卿・虞卿・共卿・工卿・師尉・列尉・祈隊・後隊・中部洎後十郡。及六司、六卿、皆隨所屬之公保其災害、亦以十率多少而損其祿。郎・從官・中都官吏食祿都内之委者、以太官膳羞備損而為節。諸侯・辟・任・附城・羣吏亦各保其災害。幾上下同心、勸進農業、安元元焉。」
莽之制度煩碎如此、課計不可理、吏終不得祿、各因官職為姦、受取賕賂以自共給。
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

王莽はまた言った。
「「天の下に王の土地でないものはなく、全土の賓客たちで王の臣下でないものはない」と言う。おそらく、天下で彼らを養うということであろう。『周礼』によると供え物には百二十の等級がある。諸侯はそれぞれ領土の収入を得、辟・任・附城もそれぞれの領民の収入を得る。公・卿・大夫・元士はそれぞれの官職に応じて収入を得る。収入の差はそれぞれに決まりが設けられている。その年の収穫が豊作ならその決まり通りにでき、災害で減収されれば減額し、民と喜びも悲しみを共にするのである。郡からの会計報告によって集計した結果、天下に災害が無ければ太官は祭祀へのお供えを礼の通りとし、災害があれば、割合に応じてお供えの膳を減らす。
東嶽太師・立国将軍は東方の三州・一部・二十五郡を管轄する。南嶽太傅・前将軍は南方の二州・一部・二十五郡を管轄する。西嶽国師・寧始将軍は西方の一州・二部・二十五郡を管轄する。北嶽国将・衛将軍は北方の二州・一部・二十五郡を管轄する。
大司馬は納卿・言卿・仕卿・作卿・京尉・扶尉・兆隊・右隊・中部の七郡を管轄する。大司徒は楽卿・典卿・宗卿・秩卿・翼尉・光尉・左隊・前隊・中部・右部の五郡を管轄する。大司空は予卿・虞卿・共卿・工卿・師尉・列尉・祈隊・後隊・中部の十郡を管轄する。
および六司・六卿はみな所属する公に従って災害の割合に応じた減額を受ける。郎・皇帝の侍従・中央官庁の官吏で中央政府から俸給を受ける者は、太官の膳の縮減に応じる。諸侯・辟・任・附城・官僚たちもまた災害による減額を受けるようにする。上下が心を一つにして農業振興に努め、人々の安全安心のため働くことを願うからである」



王莽の制度の煩瑣であったことはこのようであり、あまりの複雑さから予算管理もままならず、官吏はついに俸給を得ることができなくなり、おのおのその職務の中で汚職に手を染め、賄賂を貰うことで自給自足するようになった。



王莽の制度らしい顛末。



公務員の給与が極限まで減ると、あるいは支給が杜絶すると何が起きるか、という壮大な社会実験である(王莽はそれを意図したわけではないが)。