三国志はじめての官職:九卿

漢代や三国志の時代、宰相に当たるのが三公や丞相であったが、ではそれ以外の大臣はどうなっていたのか、という疑問を持つかもしれない。





この時代、大臣たちの総称を「九卿」と言った。


九卿、奉常・光祿・衛尉・太僕・鴻臚・廷尉・少府・宗正・司農。
(『後漢書』紀第五、孝安帝紀、注)

九卿は、後漢においては以下の九官庁の長官たちであった。




太常」「光禄勳」「衛尉」「太僕」「大鴻臚」「廷尉」「少府」「宗正」「大司農」。



それぞれに独立した官庁を持ち、幾つかの部門を所管している。




なお、前漢においては他にも「執金吾」などもその仲間であった。


「九卿」なのに十人目がいるのはおかしいと思うかもしれないが、「黄道十二宮」とか言っておきながら十三番目の黄金聖闘士が現れたりする世の中なので、あまり気にしてはいけない。



自太常至執金吾、秩皆中二千石、丞皆千石。
(『漢書』巻十九上、百官公卿表上)


「九卿」の秩禄は「中二千石」。


これは「三公」に次ぐ高給取りということであり、「九卿」のことを指して「中二千石」と呼ぶこともあるようだ。





全体的に言って、担当大臣なのでそれぞれに高い地位とそれなりに強い権限を有していたが、主に尚書などが決定権を握っていくようになって「九卿」の独立性が次第に失われていく、という流れがあったとされているようだ。



実際、前漢から後漢、そして三国時代から晋と変わっていく中で「九卿」は再編されていった。




だがまあここではとりあえず「三公に次ぐ格式の大臣」とでも憶えておけばいいだろう。




もう少し細かいことはそれぞれの項目の記事で説明すると思う。たぶん。