後漢の官僚

是時大司農劉據以職事被譴、召詣尚書、傳呼促歩、又加以捶撲。
(左)雄上言「九卿位亞三事、班在大臣、行有佩玉之節、動有庠序之儀。孝明皇帝始有撲罰、皆非古典。」帝從而改之、其後九卿無復捶撲者。
自雄掌納言、多所匡肅、毎有章表奏議、臺閣以為故事。遷司隸校尉。
(『後漢書』列伝第五十一、左雄伝)

後漢の後半、大司農だった劉拠なる人物が咎があって尚書から証人喚問を受けた。




尚書ということは皇帝じきじきの召喚も同然である。




その際、三公に次ぐ九卿の地位である大司農劉拠は召喚の移動中も早く歩くようせかされるばかりか、鞭打たれたり殴られたりといった直接の身体的苦痛も与えられたのだという。





孝廉を四十歳以上に限るなどの新政策を打ち出した言事官左雄はこのやり方に非を唱えた。



それによればこのような乱暴な証人喚問は明帝以来の事で、それ以前は行われていなかったのだといい、これがきっかけとなって改められたのだそうだ。





後漢は思った以上に官僚たちに対する扱いが手荒だったようだ。