呪術と医術

父病積年、(殷)仲堪衣不解帯、躬學醫術、究其精妙、執藥揮涙、遂眇一目。居喪哀毀、以孝聞。
(『晋書』巻五十四、殷仲堪伝)

(殷)仲堪少奉天師道、又精心事神、不吝財賄、而怠行仁義、嗇於周急、及(桓)玄來攻、猶勤請禱。然善取人情、病者自為診脉分藥、而用計倚伏煩密、少於鑒略,以至於敗。
(『晋書』巻五十四、殷仲堪伝)


東晋の殷仲堪は父の看病のため独学で医術を学んだという。



その一方で、かの五斗米道の流れを汲む天師道を奉じ、桓玄が迫り自分に危機が迫っているのに祈祷をしていたなどとも言われている。





五斗米道ではまじないの類で病気を治そうとしていたとか言われていたはずなので、この医術との両立についてはなかなか興味深い話かもしれない。





なんかこう「軽い鎧も着ることができない魔法使いだけど魔法使わないときは杖で接近戦します」みたいな矛盾を感じないでもない。