『晋書』景帝紀を読んでみよう:その7

その6(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/07/29/000100)の続き。





癸巳、天子詔曰「朕聞創業之君、必須股肱之臣。守文之主、亦頼匡佐之輔。是故文・武以呂・召彰受命之功、宣王倚山甫享中興之業。大將軍世載明徳、應期作輔。遭天降險、帝室多難、齊王蒞政、不迪率典。公履義執忠、以寧區夏、式是百辟、總齊庶事。内摧寇虐、外靜姦宄、日昃憂勤、劬勞夙夜。徳聲光于上下、勳烈施於四方。深惟大議、首建明策、權定社稷、援立朕躬、宗廟獲安、億兆慶頼。伊摯之保乂殷邦、公旦之綏寧周室、蔑以尚焉。朕甚嘉之。夫徳茂者位尊、庸大者祿厚、古今之通義也。其登位相國、增邑九千、并前四萬戸。進號大都督・假黃鉞、入朝不趨、奏事不名、劍履上殿。賜錢五百萬・帛五千匹、以彰元勳。」帝固辭相國。
又上書訓于天子曰「荊山之璞雖美、不琢不成其寶。顔・冉之才雖茂、不學不弘其量。仲尼有云『予非生而知之者、好古敏以求之者也。』仰觀黄軒五代之主、莫不有所稟則、顓頊受學於緑圖、高辛問道於柏招。逮至周成、旦・望作輔、故能離經辯志、安道樂業。夫然、故君道明於上、兆庶順於下。刑措之隆、實由於此。宜遵先王下問之義、使講誦之業屢聞於聽、典謨之言日陳於側也。」
時天子頗修華飾、帝又諫曰「履端初政、宜崇玄樸。」并敬納焉。
十一月、有白氣經天。
(『晋書』巻二、景帝紀

司馬師も相国を断る。


大赦改元。減乗輿服御後宮用度、及罷尚方御府百工技巧靡麗無益之物。
正元元年冬十月壬辰、遣侍中持節分適四方、觀風俗、勞士民、察寃枉失職者。
(『三国志』巻四、高貴郷公髦紀)


『晋書』景帝紀では「飾り気が強かったので「素朴さが大事」と意見した」だとか、何となく高貴郷公にトゲがある書き方をしているが、『三国志』の方では倹約や政治の刷新に力を入れたように記される。ただ、全てが高貴郷公の手柄なのか、司馬師らの発案だったのか、そのあたりはよくわからないところ。