聖人か否か

鍾繇・王粲著論云「非聖人不能致太平。」(司馬)朗以為「伊・顏之徒雖非聖人、使得數世相承、太平可致」。
【注】
魏書曰、文帝善朗論、命祕書録其文。
(『三国志』巻十五、司馬朗伝)

後漢末、司馬懿の兄である司馬朗は、畜生や王粲とこんな議論をしたのだという。





畜生・王粲「聖人でなければ太平の世をもたらすことはできないよ」




司馬朗「伊尹や顔回は聖人ではないけれど、何代も受け継いでいけばいずれ太平の世が訪れるよ」






少々穿った見方になるが、これはもしかすると曹操漢王朝を巡っての思想的な暗闘であったのかもしれない。




畜生たちが言うことを裏返すと、「太平の世をもたらした者は聖人である」ということになる。




聖人というのは基本的に「初代天子」またはその資格を有する人物である。




この時代、「太平の世をもたらす」可能性のあった人物といえば言うまでもなく曹操が筆頭である。




つまり畜生たちは、「太平の世をもたらせば曹操様は聖人であったと証明されますね。聖人ということは天子にふさわしいですね」ということを言おうとしていたのであろう。






対して司馬朗は「曹操様が聖人ではないとしても、何代か続けていくうちに太平の世は訪れます」と言っていることになる。


太平の世がもたらされたとしても、それをもたらした人物=曹操やその子孫が聖人かどうかは別問題、ということになる。



つまり、畜生らが天下統一後の曹操への禅譲を既定路線化しようとしているのに対して、司馬朗は牽制球を投げたということになるのではないか。






なお、この牽制球が曹丕によって褒められるのはおかしなことではない、と思う。



いったん即位してしまえば、今度は「太平の世を実際にもたらした人物の方が天子にふさわしい」ということになってしまう畜生理論は曹氏にとっては邪魔になってしまうからだ。






しかし、少し後の時代になって司馬朗の理屈が弟一族の天下取りに対する空気を読まない一言になってしまうのは皮肉な話である。