劇郡・劇県

天子徴(張)敞、拜膠東相、賜黄金三十斤。敞辭之官、自請治劇郡非賞罰無以勸善懲惡、吏追捕有功效者、願得壹切比三輔尤異。天子許之。
(『漢書』巻七十六、張敞伝)

先日、漢・魏の郡の等級として「劇」というのがあると書いたが、上記はその一例である。



漢の宣帝の時、能吏の張敞は膠東相に任命されると、皇帝に対してこう願った。




「「劇郡」を治めるには賞罰で良い事を勧め悪を懲らしめるしかないのです。役人が容疑者逮捕に功績があった場合には、三輔における例とは異なる基準で特に重く褒賞することをお許しください」





つまり彼が赴任する膠東は「劇郡」であるから、役人への褒賞を重くして容疑者逮捕という善を促進し、犯罪を確実に摘発し犯人を逮捕するという懲罰で悪事を思いとどまらせることが必要なのだ、ということだ。





(九月)丁丑、詔曰「自今長吏被考竟未報、自非父母喪無故輒去職者、劇縣十歳、平縣五歳以上、乃得次用。」
(『後漢書』紀第五、孝安帝紀、永初元年)

これによれば、長官が取り調べを受けて処断が下らない場合、および父母の服喪以外で故なく勝手に辞任して職を離れた場合、「劇県」は十年、「平県」は五年経たないと次の職に任命しない、という詔が下ったという。




後漢には「劇県」「平県」という区分の存在も確認できるということだ。




たぶん、漢代を通じて「劇」と「平」という郡や県の治めやすさによる等級がずっと存在していたのだろう。




「劇郡」「劇県」は反乱や異民族の来襲が多く治めにくい、などの郡県を指していると思われる。