『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その29

その28の続き。


甄邯等白太后、詔曰「可。唯公功徳光於天下、是以諸侯王・公・列侯・宗室・諸生・吏民翕然同辭、連守闕庭、故下其章。諸侯・宗室辭去之日、復見前重陳、雖曉喩罷遣、猶不肯去。告以孟夏將行厥賞、莫不驩悦、稱萬歳而退。今公毎見、輒流涕叩頭言願不受賞、賞即加不敢當位。方制作未定、事須公而決、故且聽公。制作畢成、羣公以聞。究于前議、其九錫禮儀亟奏。」
於是公・卿・大夫・博士・議郎・列侯張純等九百二人皆曰「聖帝明王招賢勸能、徳盛者位高、功大者賞厚。故宗臣有九命上公之尊、則有九錫登等之寵。今九族親睦、百姓既章、萬國和協、黎民時雍、聖瑞畢溱、太平已洽。帝者之盛莫隆於唐虞、而陛下任之。忠臣茂功莫著於伊周、而宰衡配之。所謂異時而興、如合符者也。謹以六藝通義、經文所見、周官・禮記宜於今者、為九命之錫。臣請命錫。」奏可。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

甄邯らは元后に言上し、元后は詔を下した。「裁可する。ただ安漢公の功績と徳は天下に輝いており、それゆえに諸侯王・公・列侯・宗室・学者・官吏・民がみな揃って同じことを言い、朝廷で自説を述べて変えなかった。そのためにこの議を下したのである。諸侯王や宗室が辞去する日、また我が前でそのことを述べ、辞去しようとしなかった。そこで孟夏(四月)に安漢公への褒賞を行うつもりであると述べたところ、みな喜び、万歳と称えて辞去したのである。今、安漢公は面会するごとに涙を流し頭を床に打ちつけて恩賞を受け取らず、恩賞が加えられるなら地位を退くことを願っている。制度の決定は安漢公抜きには考えられないため、しばらくは安漢公の願いを許していたが、今や制度は作られており、大臣たちも報告してきた。そこで以前の議論を最後まで続け、九錫の制度について速やかに上奏せよ」



そこで大臣たち、博士、議郎、列侯張純ら九百二人が皆で上奏した。「聖天子、賢明な王者は賢者を招き有能な者の働きを勧め、徳が高い者は位を高くし、功績が大きな者は恩賞を厚くするものです。故に偉大な臣に最上級の上公の地位が与えられれば、九錫という通常とは違う厚遇があります。今、親族みな仲睦まじく、人々が明るく、万国が協和し、民も和やかで、瑞祥も至り、太平の世が広く訪れています。天子の盛んなことは唐虞の時代以上でありますが、それでも陛下は安漢公に政治を任せました。忠臣は周の時代以上に盛んですが、宰衡がその地位におります。いわゆる、違う時期に興りながら符合するかのようである、というものです。六経の経文や『周官』『礼記』から現在に適合するものを以て九錫を定めました。私たちは九錫を安漢公に命ずることを求めます」元后は裁可した。



ついに現れる「九錫」。過去を引き合いに出して王莽への褒賞を作り出すという常套手段である。





なお、ここで上奏者九百二名の中に現れる「列侯張純」とは、『後漢書』列伝第二十五に見える張純のことと見てまず間違いない。



この時の張純は劉氏と外戚王氏以外の列侯では最大の領土を持つ破格の存在であり*1、列侯の筆頭に置かれていたと思われるからである。

*1:この張純たちの家の先祖は武帝の時の張湯、列侯はその子張安世以来という長い歴史と絢爛たる歴史を誇る一家である。