韋端強化月間その1

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20111018/1318863714の続き。
韋端について。

太祖以(荀)紣為知人、諸所進達皆稱職、唯嚴象為揚州、韋康為涼州、後敗亡。
(『三国志』巻十、荀紣伝)


上記によれば、荀紣は韋康を涼州刺史に推薦していたらしい。


その時点では涼州牧韋端だったのだから、荀紣は単に韋康を勧めたということではなく、韋端から韋康への実質的世襲を認め、後押ししたということになる。



韋端がそれなりに成功していたから、その人脈や信頼などをできるだけ維持できるようにと配慮したのだろうか。
それとも、涼州は我々の思う以上に韋端によって掌握されており、荀紣もそれを追認するような措置しか取れなかったのだろうか。